俳句で「動く」と言われたら季語のこと。他の季語でも代替できるという意味です。主に作品を批判するときに用いられます。何故なら、季語が一句の中心と考える人びとにとって、動くとは主役が定まらない芝居のようなものだからです。では、季語が動くとは具体的にどういう句なのでしょうか。秋の終わりに、都電荒川線を吟行(外に出て俳句を作ること)したときの私の句を見ていただきましょう。
葬儀社と豆腐屋並ぶ秋の虹 一人
葬儀社と豆腐屋と言う全く関係のない職種のお店が並んでいるのを見て、面白いなと思いました。勿論葬儀社も豆腐屋も季語ではありませんから、何かの季語を斡旋しなくてはなりません。(新豆腐なら秋の季語ですが)。店が並ぶ様子から、二箇所を結ぶ虹を連想し秋の虹としてみました。「虹」だけなら夏の季語ですが、秋の吟行ですので「秋の虹」。歳時記によれば「秋の虹は色が淡く、はかなげである」とのこと。しかしこの句の場合は、特に淡い風情は感じられませんし、むしろ葬儀社の黒と豆腐屋の白で鮮やかなコントラストが見えてしまいます。季語が動くとは、こういうケースです。吟行では、目の前の風景に引っ張られて適当な季語が見つからないことがよくあります。こんな時は少し時間をあけ頭を冷やしたほうがよさそうです。
もう一句例を挙げましょう。こちらは「俳句さく咲く!」で東京パフォーマンスドールの上西星来さんが詠んだ句です。
春雨や色変わりたる木のベンチ 上西星来
雨に濡れた木のベンチの色が変わっています。この句を詠んだ時、星来さんは俳句歴一年。よく観察しているなと感心しました。ただし、この句も季語が動きます。春雨だけの特徴が一句の中に捉えられていないからです。春雨でなくとも、夏の夕立でも、秋の秋霖(秋の長雨)でも、冬の時雨でも、やはり濡れたところの色が変わります。夕立や、秋霖や、しぐるるや、と上五を変えてみてどれでも成立するようであれば、春雨という季語が生きていないことになります。俳句を作る際には、このように他の季語に入れ替えてみて、「動く」かどうかを検証する必要があります。
動く場合には、推敲が必要。星来さんの句の場合は、動詞を入れ替えてみます。例えば「色変わりたる」を、「あはくなりたる」に。春雨がやさしく静かに濡らす感じの幾分かは表現出来るようになりました。
春雨やあはくなりたる木のベンチ
ところで季語は動いてもいい、と考える俳人も実は少なからずいます。だから俳句はややこしい。ではどうするか。とりあえず「動かない」俳句を目指してください。暫くやってみて、自分なりの俳句観が養われたらそのとき、もう一度 動く、動かないを選択してください。
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