- あなたなる夜雨の葛のあなたかな
- うちまもる母のまろ寝や法師蟬
- うまや路や松のはろかに狂ひ凧
- かの窓のかの夜長星ひかりいづ
- ころぶすや蜂腰(すがるごし)なる夏瘦女
- さきだてる鵞鳥踏まじと帰省かな
- ぬば玉の寝屋かいまみぬ嫁が君
- ふるさとや石垣歯朶に春の月
- まながひに青空落つる茅花かな
- まのあたり天降(あも)りし蝶や桜草
- ストーブや黒奴給仕の銭ボタン
- 一片のパセリ掃かるる暖炉かな
- 人入つて門のこりたる暮春かな
- 北風や青空ながら暮れはてて
- 卒業の兄と来てゐる堤かな
- 向日葵の蕊を見るとき海消えし
- 夕釣や蛇のひきゆく水脈あかり
- 大年やおのづからなる梁響
- 奥津城に犬を葬る二月かな
- 学生の一泊行や露の秋
- 寒鴉己(し)が影の上(え)におりたちぬ
- 山焼くやひそめきいでし傍の山
- 川蟹のしろきむくろや秋磧
- 春月や宿とるまでの小買物
- 枯木宿はたして犬に吠えられし
- 柿もぐや殊にもろ手の山落暉
- 永き日のにはとり柵を越えにけり
- 汽車見えてやがて失せたる田打かな
- 沈む日のたまゆら青し落穂狩
- 泳ぎ女(め)の葛隠るまで羞ぢらひぬ
- 燦爛と波荒るるなり浮寝鳥
- 牧牛にながめられたる狭霧かな
- 白波を一度かかげぬ海霞
- 白藤や揺りやみしかばうすみどり
- 秋の日をとづる碧玉数しれず
- 繭玉に寝がての腕あげにけり
- 花うばらふたたび堰にめぐり合ふ
- 草市や夜雨となりし地の匂ひ
- 落栗やなにかと言へばすぐ谺
- 蓬生に土けむり立つ夕立かな
- 虚国の尻無川や夏霞 (戦場ヶ原二句)
- 蟬時雨つくつく法師きこえそめぬ
- 谷水を撒きてしづむるとんどかな
- 郭公や国の真洞(まほら)は夕茜
- 野分してしづかにも熱いでにけり
- 野路ここにあつまる欅落葉かな
- 風立ちて星消え失せし枯木かな
- 風鈴の空は荒星ばかりかな
- 鳥居より初竈の火のぞきけり
- 麦車馬に遅れて動き出(い)づ
- 春の雷鯉は苔被て老いにけり
- 岩水の朱きが湧けり余花の宮
- 駅路や麦の黒穂の踏まれたる
- 雪解くる苔ぞ笞ぞ山始
- 谷水を撒きてしづむるどんどかな
- 筆始歌仙ひそめくけしきかな
- 松道や織りかけ機の左右に風
- ぬば玉の閨かいまみぬ嫁が君
- 雪融くる苔ぞしもとぞ山始
- 山川の砂焦がしたるどんどかな
- 下萌のいたくふまれて御開帳
- 巣鴉や春日に出ては翔ちもどり
- 畑打や影まねびゐる向ふ山
- 椿落ちて虻鳴き出づる曇りかな
- 椿落ちて色うしなひぬたちどころ
- 白浪を一度かかげぬ海霞
- 御灯のうへした暗し涅槃像
- 川淀や夕づきがたき楓の芽
- ささがにの壁に凝る夜や弥生尽
- 山焼くやひそめき出でし傍の山
- 春愁や草の柔毛のいちじるく
- 三椏のはなやぎ咲けるうららかな
- 村の灯のまうへ山ある蛙かな
- たはやすく昼月消えし茅花かな
- 春浅し小白き灰に燠つくり
- 針山も紅絹うつろへる供養かな
- 草餅や野川にながす袂草
- まのあたり天降りし蝶や桜草
- 山守のいこふ御墓や花ぐもり
- 前山の吹きどよみゐる霞かな
- 行春や宿場はづれの松の月
- 蘖に杣が薪棚荒れにけり
- 鳥の巣やそこらあたりの小竹の風
- 水流れきて流れゆく田打かな
- 石楠花にいづべの月や桜狩
- うまや路や鶯なける馬酔木山
- うまや路の春惜しみぬる門辺かな
- 森かけてうちかすみたる門辺かな
- 春雪や学期も末の苜蓿
- 奥津城に犬を葬る 二月かな
- 松籟にまどろむもある遍路かな
- 中二階くだりて炊ぐ遍路かな
- 鞦韆の月に散じぬ同窓会
- 風早の桧原となりぬ夕霞
- 遍路宿泥しぶきたる行燈かな
- 飼屋の灯母屋の闇と更けにけり
- 畑打に沼の浮洲のあそぶなり
- 杉山の杉籬づくり花ぐもり
- 板橋や春もふけゆく水あかり
- 落椿独木橋揺る子はしらず
- 空の光りの湯の面にありぬ二月風呂
- 櫟より櫟に落つる椿かな
- 古雪や花ざかりなる林檎園
- 摺り溜る籾掻くことや子供の手
- 新藁や永劫太き納屋の梁
- 蓑虫の鳥啄ばぬいのちかな
- 泥濘におどろが影やきりぎりす
- ふるさとを去ぬ日来向ふ芙蓉かな
- 浸りゐて水馴れぬ葛やけさの秋
- ひややかや黍も爆ぜゐる夕まうげ
- 秋の夜のつづるほころび且つほぐれ
- あなたなる夜雨の葛のあなたかな
- ひねもすの山垣曇り稲の花
- 稲原の吹きしらけゐる墓参かな
- 籾磨や遠くなりゆく小夜嵐
- 秋ゆくと照りこぞりけり裏の山
- 薪積みしあとのひそ音や秋日和
- 秋晴やあえかの葛なる馬の標
- 秋耕やあえかの葛を馬の標
- あちこちの祠まつりや露の秋
- わかものの妻問ふ更けぬ露の村
- 鮎落ちて水もめぐらぬ巌かな
- うちまもる母のまろ寝や法師蝉
- 蜻蛉やいま起つ賤も夕日中
- はばかりてすがる十字架や夜半の秋
- 夕ざれば戸々の竈火や啄木鳥
- ゆく秋を乙女さびせり坊が妻
- 鴉はや唖々とゐるなり菌狩
- 落栗やなにかと言へばすぐ木魂
- ふるさとの幾山垣やけさの秋
- 石塊ののりし鳥居や法師蝉
- 窓の外にゐる山彦や夜学校
- 泳ぎ女の葛陰るまで羞ぢらひぬ
- 鵙来鳴く榛にそこはか雕りにけり
- みじろぎにきしむ木椅子や秋日和
- つゆじもに冷えてはぬらむ通草かな
- 枯れつつも草穂みのりぬ蝶の秋
- つゆじもに冷えし通草も山路かな
- 古町の路くさぐさや秋の暮
- 栗山に空谷ふかきところかな
- 岨に向く片町古りぬ菊の秋
- 風吹けば蠅とだゆなり菊の宿
- 落鮎や空山崩えてよどみたり
- 秋の夜の影絵をうつす褥かな
- 墓の門に塵取かかる盆会かな
- よべの雨閾濡らしぬ霊祭
- 溝川に花篩ひけり墓詣
- 銀杏にちりぢりの空暮れにけり
- 秋の日をとづる碧玉数しらず
- 夜長屋窓うつりしてきらびやか
- 蜻蛉や秀嶺の雲は常なけれ
- 桔梗や褥干すまの日南ぼこ
- 紅葉山の忽然生みし童女かな
- 国分寺の露なほ干ぬ野菊かな
- りんどうや時たまゆれて松落葉
- 船室に捩ぢたる鋲や秋灯
- 新涼に山芋売りの来りけり
- 鴨うてばとみに匂ひぬ水辺鳥
- 落葉すやこの頃灯す虚空蔵
- 枯野ゆくや山浮き沈む路の涯
- 枝つづきて青空に入る枯木かな
- 冬ごもり未だにわれぬ松の瘤
- 日昃るやねむる山より街道へ
- 炭出すやさし入る日すぢ汚しつつ
- 枯野はや暮るる蔀をおろしけり
- 凩や倒れざまにも三つ星座
- 桐の実の鳴りいでにけり冬構
- 大年やころほひわかぬ燠くづれ
- 旭にあうてみだれ衣や寒ざらへ
- 八つどきの助炭に日さす時雨かな
- 町空のくらき氷雨や白魚売
- 寒鴉己が影の上におりたちぬ
- 茶の花や畚の乳子に月あかり
- 団欒にも倦みけん木莵をまねびけり
- 梟の目じろぎいでぬ年木樵
- 雲の影しきりにはしる枯野かな
- 十夜寺をいゆるがすなり山颪
芝不器男 プロフィール
芝 不器男(しば ふきお、1903年(明治36年)4月18日 - 1930年(昭和5年)2月24日)