俳句に音楽用語を用いると、聴覚の印象を深く刻むことができます。音の聞こえてくる一句、例えばこんな作品です。
オクターヴにひらきし十指合歓の花 浦川聡子
合歓(ねむ)の木はその名の通り、眠る木。暗くなると葉を閉じる就眠運動で知られます。朝になれば目覚めて葉を開く。葉の不思議な動きと儚げな花が特徴の植物です。「雄しべの花糸が淡紅色で長く、紅刷毛のようで美しい」と歳時記に。掲句はおそらくピアノの指の動きでしょう。オクターヴという言葉が、弾きこなすのが難しい和音を想像させます。
一般に植物の季語を、取り合わせで詠むのは難しいとされます。どんな言葉と組み合わさってもそれなりに鑑賞できますが、その一方他の植物に入れ替えても句が成立してしまう危うさがあるからです。季語の交換が可能な場合「季語が動く」と言って、句の評価が下がってしまいます。しかし掲句の場合は、合歓の花でなければなりません。合歓の葉の動きと繊細な花が、ピアノのリリカルな旋律とぴったりあっているからです。句からピアノの音が聞こえてきそうな作品。開いては閉じる指の動きと合歓の葉の動きが重なりあって、夢の世界に誘われるような印象を残します。
コロラテューラ・ソプラノ木の実しきりなり 浦川聡子
コロラテューラとはクラシック音楽の歌曲やオペラで、早いフレーズの中に装飾を施し華やかにした音節のこと。モーツァルトの歌劇「魔笛」に登場する夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」が有名です。
音楽を聞きながら、しきりに落ちる木の実を見ている作者。こつん、こつん、とまるでリズムを取るように降っているのでしょう。木の実とは「樫(かし)、椎(しい)、椋(むく)、榧(かや)、橡(とち)など団栗の総称。秋に熟して自然に地上に落ちる」と歳時記に。丸い木の実のコロコロ転がる感じとコロラテューラ・ソプラノの玉を転がすような高音が響き合っています。コロラテューラという語感もまたコロコロと丸っこい。発音すると、口の中で小さな玉が生まれ転がるように感じます。お試しあれ。
さて、作者はオーケストラでビオラを担当しています。コロラテューラに限らず、様々な音楽用語が句集に登場。いずれも音だけでなく、色彩まで感じさせるのが特徴です。掲句のソプラノも金色の秋の日差しを纏っているように感じられます。なぜなら明るく、高く、透き通って輝く声だから。音と色は深く結びついているのです。音楽の用語を用いることで、鮮やかな色彩まで伝えることができる。ここに俳句の魔法があります。
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html
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