あり 蟻【ワンランク上の俳句百科 新ハイクロペディア/蜂谷一人】

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蟻強しこゑもことばも持たぬゆゑ  髙柳克弘

夏の一日、蟻の列を観察したことはないでしょうか。黙々と移動し続け、倦む事を知らない働きぶりに畏敬の念さえ抱きます。戦利品となる骸を刻み、運び、また引き返して同じ事を繰り返す。一匹が死んだとしても何もなかったかのように、他の一匹が列に加わる。ここでは個ではなく全体が優先されます。蟻の巣という大きな生命体があり、一匹一匹はその細胞。取り替えのきくパーツでしかないようです。声をあげ、言葉で話すのは個の力。声と言葉で一つの個体が周囲を説得し、大きな集団を動かすことができます。しかし蟻の世界には声がない。言葉もない。集団の意思は常に一定でぶれることがありません。だから強い。作者の指摘する通りです。

掲句は蟻の強さを讃えていると読むことも、蟻の強さを憂えていると読むことも可能。作者の想定していなかった事態でありますが、ウクライナで起こっていることを考えると非常に苦い後味が残る一句です。

さて「青い鳥」で有名なベルギーの作家メーテルリンクは、蜜蜂、白蟻、蟻と言う三種の社会性を持つ昆虫を題材に三部作を残しています。私はある時期、この三部作に傾倒し昆虫の神秘生活に思いを馳せたことがありました。第一部「蜜蜂の生活」では巣の精神が描かれます。巣を作り、運営し守ることが最優先される蜜蜂の社会。そこでは、個々の蜂は営巣のための部品にしかすぎません。今日の権威主義国家を思わせるような社会です。続く第二部「白蟻の生活」では、巣を営むために費やされる膨大な犠牲が語られます。家の害虫として知られる白蟻ですが、温度や湿度の変化に弱く、土の塔のような巣はエアコンディションつきの要塞のようなもの。地下道と巣の中だけで生活し、蜜蜂のように花の美しさを楽しんだり野原を飛び回る自由はありません。全員が奴隷のような白蟻の社会では、幸せな者が一人もいないと作者は喝破します。さて三部作の最後を飾る「蟻の生活」で、メーテルリンクはこんな事を書いています。「あらゆる昆虫の中で、アリだけが軍隊を組織し、攻撃的戦争をくわだてる種族である」「不正義きわまる種族こそが、もっとも文明化し、知識の発達した種族であることを認めざるをえない」出版されたのは1930年。当時の知見ですから、今日の昆虫学の常識とは異なっているかも知れません。しかし彼はナチス勃興前夜のヨーロッパ社会にあって、すでに全体主義の危険を予見していたように思います。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html

 

 

 

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