涅槃図やしづまりかへる舌ひとつ 鳥居真里子「月の茗荷(2008)角川書店」
季語は涅槃図。入滅した釈迦を取り囲み、仏弟子、諸天、鬼神、鳥獣などが嘆き悲しむさまを描いた絵図です。釈迦入滅の日とされる旧暦二月十五日。現在では三月十五日前後に法要が営まれます。各寺院で涅槃図を掲げ、釈迦の遺徳を偲ぶのです。
さて掲句。しづまりかえる舌とは何でしょう。弟子たちも神々も、釈迦の死を嘆き悲しんでいます。その者たちの舌は泣き声を発しているのでしょう。その中でただ一つ静かな舌がある。それは釈迦自身のもの。釈迦だけは嘆くことなく、静かに入滅の時を迎えています。
この場面に先立って、釈迦は弟子たちにこう告げたと仏典に記されています。
さあ、修行僧たちよ、お前たちに告げよう。「諸々の事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成しなさい」と。
釈迦の入滅もまた過ぎ去るものの一つ。「静まり返る舌」は言葉ではなく沈黙によって、過ぎ去る一瞬を永遠のものとしたのです。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html