俳句には切字があり、多くの初心者を悩ませています。これがあるからこそ、たった十七音で森羅万象を表現出来る魔法の杖のようなもの。でも魔法とおなじで使いこなすには修行が必要です。「や」「かな」「けり」の三つが代表的なものですが、ハイクロペディアは五十音順なのでまず「かな」から始めましょう。
「かな」は最もゴージャスな切字。句の最後に使われることが多いため、ドレスシューズやパンプスのように足元を引き締め、正装を際立たせます。それだけに、カジュアルな句に用いると、ジーンズにエナメル靴を合わせるようなチグハグさが目立ってしまうので要注意。
「かな」は詠嘆ですが、そう言われてもイメージがつかみにくいと思います。私の生業はテレビ番組制作ですので映像的に解説してみましょう。映像の世界には「白飛ばし」という技法があります、映像の最後がじわっと白くなる編集法です。通常の編集点とは異なり、映像の終わりの感じが強く出ます。映画や番組の最後に使われた白飛ばしをご覧になった方も多いでしょう。これが「かな」の効果です。強い余韻をもって一句の最後を引き締めます。桜のような三音の季語であれば下に「かな」をつけると、下五にぴたりとおさまります。
さまざまのことおもひ出す桜かな 松尾芭蕉
桜の例句として必ず歳時記に掲載されています。するりと読み下せば、桜が思い出しているようにも取れます。しかし勿論、思い出すのは私。さまざまなことを思い出すなあ、桜を見ていると。こんな意味になるでしょう。一体どういう構成になっているのでしょうか。もう一句あげてみます。
遠山に日の当りたる枯野かな 高濱虚子
日が当たっているのは遠山ですか、それとも枯野ですか?多くの方が「枯野」と答えるでしょう。「当たりたる」は連体形。連体形は続く名詞を修飾します。だから「枯野」にかかる、はずですよね。一見正しそうですがこれも間違い。正解は遠山。遠山に日が当たっているなあ、枯野の向こうでは。こんな意味になるのです。
実は俳句独特のレトリックが隠されています。形の上では後ろの名詞につながってゆくように見せて、意味の上では軽く切れている。高等テクニックですが、いつかは使いこなしたい技法の一つ。桜の句でも遠山の句でもいいのですが、丸ごと覚えてしまうことをお勧めします。そうすれば型が自然に身につきます。それが偉大な魔法使いへの第一歩です。
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