共感覚という言葉をご存知ですか。色から音を感じたり、音で痛覚を刺激されたり。味覚から色を感じることもあります。本来関連性を持たない五感のあるものとあるものが響き合う現象です。ヒトの脳の情報処理のバグのようなものかもしれませんが、日々の生活を豊かにもしている。こうした現象を利用すると俳句に、重層的な感覚をもたらすことができるのです。例を揚げてみましょう。あの名句がそうでした。
そら豆はまことに青き味したり 細見綾子
ここでは味を色で表現しています。大胆な表現ですが「青き味」と言われて、違和感がないのは共感覚が働いているから。そして現代の俳人たちも、この共感覚を巧みに用いています。
秋空のラの音高きさようなら 塩見恵介
ここでは音韻と音程の間の共感覚が詠まれています。アキゾラのラとドレミファのラ。秋空と発音した時に、音階のラ音を感じるというのです。なんと新しく清々しい感覚でしょうか。そういえば、ハルゾラ、ナツゾラ、フユゾラ。それぞれにラの音はありますが、秋空のラが一番高そう。秋は空が一番高い季節なのですから。このラの音にもヘ音記号のラ、ト音記号のラなどがあって、さらに五線譜を上に下にはみ出したりもします。低い方のラは男声のバスの音。高い方のラは、ソプラノでしょうか。この句では女性が煌めくようなラの音で「さようなら」を言い切ったのでしょう。「さようなら…」ではなく「さようなら!」と。
子どもたちの「さようなら」は明日の再会を信じていますが、大人の「さようなら」はもう逢えないことを知っています。掲句の「さようなら」が少々切ないのは、秋の空が澄み切っているせいかも知れません。
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