1702年(元禄15年)一冊の書が刊行されました。松尾芭蕉の「奥の細道」。紀行文とともに俳句が記されており、その文学的価値は計り知れません。奥州の旅の一部を現代の言葉に直すとこんな風になります。
「藤原三代にわたる栄華も今となっては夢のようであり、平泉の表門の跡は一里程手前にある。秀衡の館跡は、今では田や野原に変わり果て、秀衡が造らせた金鶏山だけがその形をとどめている」云々と、藤原三代の栄華を偲んでいます。
「よりすぐった忠義心のある家来たちが高館にこもり功名を競ったが、そうして得られた功名も一時の夢と消え、今では草が生い茂るばかりだ。杜甫の、国破れて山河あり、城春にして草青みたり、の詩を思い浮かべ、笠を置いて腰をおろしいつまでも栄枯盛衰の移ろいに涙したことであった」
芭蕉には平泉の地によほど深い思いがあったのでしょう。唐の大詩人・杜甫まで引用して感慨にふけっています。この文章に続くのが、あの有名な一句です。
夏草や兵どもが夢の跡 芭蕉
俳句初心者のあなただって、一度くらい聞いたことがあるでしょう。この句の下敷きに「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」があることは芭蕉自身が記している通り。杜甫の詩の春をあえて夏に変え、「夏草や」と詠んだのです。
夏草は歳時記に「繁茂する夏の草。野や山に茂った夏草は、エネルギーに満ちている」と記されています。しかし芭蕉の一句があるために、「過ぎ去った栄華」「人の世の儚さ」といった意味が付与されるようになりました。この付与された意味こそ「季語の本意(ほい)」と呼ばれるもの。歴史的な背景や使われ方を知らないと、深く理解することができません。
あるとき英国人とこの句について語り合ったことがありました。お互いに鑑賞していて全く話が通じていないことに気づきました。夏草は英語ではSummer Grass。英国の夏は短く、盛夏でも日本の五月のように心地よく花が咲き乱れる季節です。従ってSummer Grassは喜びに満ちた美しい季節の象徴。英国人にとって「過ぎ去った栄華」「人の世の儚さ」という本意とは無縁の言葉だったのです。
俳句が国際化してHAIKUとなってゆくのは素晴らしいこと。しかしお国柄や文化の違いを乗り越えて俳句でわかり合うのは容易なことではありません。世界には冬がない国だってあるのですから。
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