俳句に於いて音韻はどのように働くものなのでしょうか。次の句を例に考えてみたいと思います。
朝寒やフレーク浸る乳の色 高柳克弘
音韻で目を引くのはフレーク、浸るという「は行」の音の連続です。シリアルと言わずにフレークと言ったことでふやけた感じが高まっているように感じられます。
こうした音韻のレトリックを使う場合、ともすればやりすぎてしまうもの。掲句でいえば、例えばフレークに続けて「ふやける」としてみたりする。私なら多分そうする。でもそれでは作者の意図がはっきりしすぎてしまいます。「ふの音の連続で、ふやけた感じを強調してみました」という作者のドヤ顔が見えてしまうのです。フレーク、浸るくらいがちょうどいい。読み直してみるとそんなことにも気づかされます。レトリックに精通しながら、やりすぎない頃合いを心得ている作者。心憎いばかりです。
さて朝寒は晩秋の季語。「晩秋になると朝は著しく気温が下がり、手足の冷たさを覚える。いよいよ冬の近いことが感じられる」と歳時記に。冷え冷えとした晩秋の朝に、コーンフレークを食べている作者。肌寒いのに、食べ物まで冷たい。一層身にしむように感じられます。
この乳はもちろん牛乳。わずかに青みがかった白でなければなりません。豆乳だったら?少し黄色がかっている分、多少暖かく感じられるでしょうね。そう思いませんか。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html
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