行く用があって恵方ということに 池田澄子「此処(2020)朔出版」
歳徳神の来訪するめでたい道が、その年の恵方。その方角にある神社や寺に詣で福を授かります。これが恵方の本意。ところが、この句では「私が行く方が恵方」とあっけらかんと宣言しています。もしも外国の人にこの句の意味を問われたら、きっと説明するのが難しいでしょう。世界のニュースを見れば現代でも宗教の違いで争いが起き、埋められない溝があることを実感できます。それなのにこのご都合主義。ただし、日本人の感覚でいえば誠にリアル。
そういえば同じ作者に
青嵐神社があったので拝む 池田澄子
という句がありました。敬虔な方ではないし、毎日神社に参ったりはしない。でも、新年の恵方は気になるし、神社があれば手を合わせることもある。結婚式は神前で行い、葬式は仏前。だからと言って神さまを軽んじているわけではない。時として俳句は、本音と建前の間の微妙な感情をうまく描いて見せることがあります。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html