すみたくけんしん・住宅顕信(1961~1987)【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】

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25歳でこの世を去った自由律の俳人。本名は春美。死に向き合いながら、青春性に満ちた句を世に残しました。まずその生涯を簡単にご紹介しましょう。

1961年岡山市に生まれ、中学卒業後調理師専門学校で学びながら、レストランで働きます。
16歳で年上の女性と同棲。
19歳で清掃業に転職。このころから宗教と俳句に興味を持ちます。
22歳の時、京都西本願寺で得度。顕信という法名を得ます。自宅に無量寿庵という仏間を作る一方、一歳年下の女性と結婚。
23歳の時に急性骨髄性白血病を発症、岡山市民病院に入院。入院中に長男 春樹が誕生しますが離婚。以後 病室の一角に畳をしいて育児を行います。
入院中は俳句作りに没頭し、俳誌「層雲」に投稿。一時 小康を得て退院しますが回復には至らず。
1987年2月7日に亡くなります。

顕信は死の直前までの2年8か月間で281句を残しました。私はかつて住宅顕信のドキュメンタリーの制作にあたったことがあります。岡山の駅裏にたむろする若者たちに顕信の句を読んでもらったところ 俳句に触れたことのない彼らが口々に「泣きたくなる」と言っていたのが印象的でした。顕信が病室で書いた句がこちらです。(順不同)

夜が淋しくて誰かが笑いはじめた

降りはじめた雨が夜の心音

月明り、青い咳する

若さとはこんなに淋しい春なのか

子には見せられない顔洗っている

ずぶぬれて犬ころ

春風の重い扉だ

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html

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