曲る場所それぞれ違ふ白子干 小野あらた「毫(2017)ふらんす堂」
白子干は鰯の稚魚を茹でて干したもののこと。ご存知ですよね。掲句、実に細かい。白子干の曲る場所ですよ。スーパーで買ってきた白子干をザーッと机の上に広げて、ピンセットでより分けているような感じ。前の方が曲がっているもの。中程、後ろと。その行為に何の意味があるのかわかりませんが、映像だけははっきりと見えてきます。作者は食べ物を詠むことが多いので、食いしん坊なのかもしれません。しかし美味しそうというよりは、トリヴィア。この白子干だって食べたいかと言われれば、疑問符がつくところ。もしかして、白子に混じっている海老や蟹の幼生まで観察しているのではないか、とさえ思えてきます。この句集、読むほどに小さなところに引き込まれます。
私は以前BSの「熱中時間」という番組を担当していました。駅弁の包み紙を集めている人や、納豆のかき回し方に拘っている人、魚の形をした醤油の入れ物に魅せられた人などが登場しました。いずれも、だから何?と思うのですが、その情熱には打算がなく清潔でさえありました。人間を駆り立てるものは、金銭や名誉だけではないことを学ばせていただきました。ある時、そんな一人に質問したことがあります。「楽しいですか?」と。当然「はい」という答えが返って来るものとばかり思っていました。しかし予想は裏切られました。「辛いです」。驚いた私、「楽しくはない?」。その方「やめたいです」。じゃあ、やめればいいじゃん。いや、他にやる人がいないんです。え、それって仕事でもないのに?
作者の句集は、それに似た匂いがします。人類の文化の半分は、こうした説明不能の情熱に支えられています。不思議ではありますが誇らしくもある。こうした痩せ我慢がなければ、人生はもっと味気なくなってしまうでしょう。熱中時間は終了しましたが、作者には「白子干熱中人」としてご出演いただきたかったと切に思います。
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