花便り待つや京にも我が桜 西村和子「わが桜(2020)角川書店」
我が桜とは一体何でしょう。一本の桜を自分のものにしてしまうとは、なんと豪儀なことよ、などと呟いていたらこんなあとがきに出会いました。
「心ひそかに私の桜と思い決めて、毎年見にゆく花がある。ひとつは終の住処と定めたる多摩川のほとりの老木。夫と最後の花見をした桜だ。樹下の輪から抜け出て来た青年が、シャッター押しましょうか、と撮ってくれた写真が今も居間に飾ってある。翌年からは、ひとりで花に語りかけている。
今ひとつは夫の菩提寺、京都の金戒光明寺の山門の桜だ。墓参のたびに仰ぎ、十五年になろうとしている。いずれ私もこの地に眠り、満開の枝越しに京の町を眺めることになるだろう」
花の咲く時期に、京都に墓参に行くという作者。桜の花には思い出が宿り、春を迎えるたびにそれが蘇ります。開花の便りを待ちわびるのは、ただ花に逢いたいからというだけではなさそうです。亡き人に会いに行く日を教えてくれるからでもあるのでしょう。あの華やかな桜が死者の思い出と結びついているのは、考えてみれば不思議なことです。
桜と言えばこの句。
さまざまのこと思ひ出す桜かな 芭蕉
ここでも桜と思い出が深く結びついています。芭蕉と作者。見ている風景は違っても、桜への思いは同じのようです。俳人は、桜を通して思い出に巡りあいます。さらに、古の人たちと心を通わせることもできるのでしょう。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html