季語とは決して不変のものではありません。新しく生まれるものもあれば、消えてゆくものもある。冷蔵庫(夏)やナイター(夏)などが新しい季語。そうそうブーツ(冬)も最近のもの。絶滅寸前なのは例えば紙子(紙の着物です。冬)といったかつての防寒具やや電波の日といった記念日。
こうしたものの他に、意味するののの変わってゆく例もあります。そのひとつがマスク(冬)。
俳人の阪西敦子さんによれば、1918年から大流行したスペイン風邪の予防のため一般に使用されるようになったのだとか。俳句でマスクが詠まれるようになったのはその後のことだそうです。最近で言えばコロナ禍。そのお陰で年中マスクをつけるようになってしまいました。マスク=冬という認識が揺らいでいるのが現代ということなのでしょう。とは言え、歳時記の中ではあくまで冬の季語。その乖離がこれから俳壇にどんな影響を与えるのか、見逃せないところです。
さて、マスクを用いた芸で有名になった方をご存じでしょうか。ものまねメイクのざわちんさんです。マスクをつけた木村拓哉や、安室奈美恵、ミランダ・カーの顔真似をご覧になった方は多いでしょう。性別を超え、人種の違いを超え。顔の半分しか見えないというマスクの短所を逆手に取り、かえって本物に近づけてしまう。まさに逆転の発想です。ざわちんさんによれば、口や顎を似せるのは難しい。だからマスクで隠すのは好都合。しかも人は相手の目に注目する。目元に喜怒哀楽が表れるからです。マスクの目元は、普段よりも注目を浴びやすいので、マスク芸に好都合なのだそうです。
人類学的に言えば、ヒトは白目が大きい。同じ霊長類でもゴリラやチンパンジーは黒目が大部分なのです。そのことによってヒトは怒りを露わにし、逆に敵意がないことを示したりもできるようになりました。まさに目は口ほどに物を言うのです。ヒトが社会的生活を営むようになって、目がコミュニケーションの道具としての重要性を増していったのです。いちいち戦ったりグルーミングしたりしなくても、目を見れば相手の考えがわかる。大きな集団で暮らすうえで非常に重要なポイントです。
ざわちんさん曰く、隠すことによって想像させるのがマスク芸。描かないことによって想像させるのが俳句ですから、共通点がありそうですよね。そういえば芭蕉先生も言っていました。「言ひおおせて何かある」つまり全部言ったらおしまいよ、ってこと。考えれば考えるほどマスクと俳句は、よく似ているように思います。
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