目借時ベンチの端が空いてゐる 大崎紀夫「釣り糸(2019)ウエップ」
目借時は不思議な季語。歳時記に「春の暖かさは眠気を誘うが、わけても蛙の声が聞こえる頃になると、うつらうつらと眠くなる。俗に蛙に目をかりられるからといい、この頃の時候を蛙の目借時と言った。古風な俳諧味のある季語の一つといえよう」とあります。ですから正しくは「蛙の目借時」。目借時はその略語です。それにしても、蛙に目を借りられるなんて、よく思いついたもの。もともと空想から生まれた季語なので、シリアスな句には似合いません。掲句のようにユーモラスな句に用いてこそ真価を発揮すると言えそうです。
春の日に誘われて公園に散歩に来てみれば、いい塩梅にベンチがあります。眠気を催して、このままベンチに横になってしまおうか、と思案しているのでしょうか。ベンチの端という措辞が曲者。ベンチが空いているのではなく、ベンチの端が空いている。何気なく座ったベンチに先客はいない。目をやると端が空いていて使わないのは勿体無い。ならば、寝転んであげようか、という感じでしょうか。寝転びたいと素直に言えないところがなんともユーモラス。そう私は感じたのですが、いかが。
プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」
公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html