そんもん・存問【超初心者向け俳句百科ハイクロペディア/蜂谷一人】

B!

存問とは挨拶のこと。日本最古の書物、古事記にはイザナギとイザナミの挨拶が記されています。まず女神が言います。

阿那邇夜志愛袁登古袁(あなにやしえおとこを)

ああ、なんという見目麗しい人でしょう。男神が応えます。

阿那邇夜志愛袁登売袁(あなにやしえおとめを)

ああ、なんて見目麗しい乙女だろう。節をつけて謳われたであろう、この呼びかけあいが歌の起源とされています。更に出雲で妻を娶ったスサノオが喜びを歌うシーンでは五七五七七の和歌が登場します。

八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を

歌意は、「八重に雲は立ちのぼる。その名も出雲の国に、雲は立ち、八重の玉垣をなして私の宮殿を取り囲む。私はいま妻を得て、この宮殿を建てるのだが、私と妻を閉じ込めるように、雲は立ち、八重の玉垣をつくる。ああ雲は、八重の玉垣を作っている」。この歌は出雲という土地への賛歌となっています。

ここで古代人になったつもりで考えてみてください。あなたは知らない土地を旅しています。もちろんGPSもスマホもありません。地形もわからず、土地の習慣も知らず、もしかしたら言葉も十分通じないかもしれません。そんなところを無事通過するには何が必要でしょうか。古代の人にとって、それは歌でした。土地の名を詠むことは土地の神への挨拶。歌で旅の無事や平穏を祈念したのです。

脱線しますが、白川静著 常用字解の「道」の項目にはこう記されています。

「古い時代には、他の氏族のいる土地は、その氏族の霊や邪霊がいて災いをもたらすと考えられたので、異族の人の首を手に持ち、その呪力で邪霊を祓い清めて進んだ。その祓い清めて進むことを導くといい、祓い清められたところを道といい、「みち」の意味に用いる」

だから、道という漢字には首がついているのですね。これは漢字の成り立ちについてですから中国のことですが、我が国の古代にも通じるのではないでしょうか。土地の邪霊から身を守ることが、当時は切実な意味を持っていた筈です。

さて和歌の伝統を受け継ぐ俳句。俳人の星野高士さんはこう記しています。

(俳句の)原点は何であろうか。それは挨拶である。(中略)それゆえ俳句は存問の詩と呼ばれる。存問とは人の安否を気遣う心である。さて人に対しての挨拶はわかりやすいが、では、ものに挨拶するとはどういうことか。それはたとえば花が咲いたら「よく咲いてくれたね」、盛りを過ぎたときには「散り際がきれいだね」などと季題に対して語りかけることだ。そしてこういう挨拶心を作品にしていくのが句作である。

 

プロフィール
蜂谷一人
1954年岡山市生まれ。俳人、画人、TVプロデューサー。「いつき組」「街」「玉藻」所属。第三十一回俳壇賞受賞。句集に「プラネタリウムの夜」「青でなくブルー」

公式サイト:http://miruhaiku.com/top.html

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